クリエイティブ・コモンズ(CC)は、かつて音楽・文章・画像などの創作物を自由に共有したい人々にとって、頼りになるプラットフォームだった。他の誰かがリミックスしたり、使ったり、インスピレーションを得たりできるように作品を公開し、コミュニティと信頼の精神が根付いていた。クリエイター同士や学生、世界中のオーディエンスに作品が評価されることを信じて、みんながオープンにシェアしていたのだ。
しかし、近年その精神は揺らいでいる。AIの急速な発展によって、人間同士のために公開されていたオープンコンテンツが、巨大なAIデータセットの「餌食」となった。大量のCCライセンス作品が企業のAIモデルの学習に使われ、多くの場合、クレジットも報酬もなく、クリエイターの意図が十分に認められないまま利用されてしまった。
これは、クリエイティブ・コモンズ運動に参加していた多くの人々が想像していた未来ではない。作品は「人のため」に提供されたのであって、「機械のため」ではなかったのだ。今、多くのクリエイターコミュニティで「シェアは本当に安全なのか?自分の作品は、出典も示されずに次のAIツールの糧になるだけなのか?」という疑問が生まれている。
こうした中、クリエイティブ・コモンズは「CC Signals」という新しい取り組みを始めた。これは、クリエイターがAIによる学習や帰属表示、報酬などについて自分の希望を表明できる仕組みのことだ。一歩前進のように見えるが、これらのシグナルには強制力はない。企業の善意に頼るしかなく、しかもこの仕組みが登場した時点で、主なAIモデルはすでに膨大なオープンコンテンツから学習を終えていた。多くの人にとっては、「馬が逃げた後で馬小屋の扉を閉める」ようなものに感じられている。
その結果、オープンな共有への信頼は揺らいでいる。作品を公開プラットフォームから引き上げたり、より制限の厳しいライセンスや有料化に切り替えるクリエイターも増えている。かつて「自由」と「可能性」を約束していたデジタル・コモンズも、今では一部の人にとって「部品取り場」のように感じられるかもしれない。
クリエイティブ・コモンズにとって、これからの課題は明確だ。「オープン=制御不能」ではないと、再び信頼を築くこと。AI時代においてもコモンズが活気を保てるのか、それともクリエイターたちが自分の権利や「シェアする意味」を守るために新たな道を探し始め、徐々に消えていくのか。今、その問いがクリエイティブなコミュニティ全体に響いている。
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